なぜフィリピン人は植民時代に導入されたキリスト教を信仰し続けるのか?

はじめに

フィリピンは世界で最もカトリック信者が多い国のひとつであり、総人口の約83%がカトリックを信仰している。これは世界で3番目に多いカトリック人口であり、プロテスタントを含めると国民の90%以上がキリスト教徒である。

しかし、フィリピンのキリスト教信仰の歴史を振り返ると、スペインの植民地政策の一環として導入され、支配の道具として活用された側面がある。植民地支配に対しては強い負の記憶が残る一方で、なぜフィリピン人は現在もカトリックを深く信仰し続けているのか。この問いに対して、歴史的背景を整理し、フィリピン社会におけるキリスト教の根付いた理由を探る。

フィリピンでキリスト教が広まった歴史的背景

マゼランとキリスト教の到来(1521年)

画像引用:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50618850U9A001C1000000/

1521年、ポルトガル人航海士フェルディナンド・マゼランが初めてフィリピンに到達し、キリスト教の布教が始まった。しかし、この時点での影響は限定的で、マゼラン自身もその後間もなく命を落としている。

本格的な植民地化とカトリック布教の拡大(1565年〜)

1565年にスペイン人ミゲル・ロペス・デ・レガスピがセブ島に到着し、本格的な植民地政策が始まる。スペイン統治下でカトリックは支配の手段として利用され、初期には武力による強制的な布教が行われたが、その後は社会福祉や教育と融合した布教が推進された。

土着信仰との融合

スペインがフィリピンを植民地化する以前は、アニミズム(精霊信仰/アニト/マグウェイ(Magwayen))や先祖崇拝が根付いた。そのため、スペインの宣教師たちは土着信仰を現地の人に排除させるのではなくカトリックと融合させることで新興宗教であるキリスト教を受け入れやすいかたちで融合させた。

アニト信仰とサントニーニョ

※写真はシヌログ祭りで持ち歩かれているサント・ニーニョ

フィリピンには古くから「アニト」と呼ばれる精霊信仰があり、これがサント・ニーニョ(幼きイエス像)と結びつけられ、現在でもセブ島の「シヌログ祭り」にその融合が色濃く残っている。

女性の精霊信仰と聖母マリア

フィリピンでは自然を司る女性の精霊が信仰されておりその際に女性シャーマン(ババイラン)が重要な宗教的役割を果たしていた。その際に死者の魂を導くマグウェイ(Magwayen)と呼ばれる女神が崇拝されていたが、伝統的な女性シャーマン(ババイラン)が信仰した女神マグウェイと聖母マリアが重なり、女性崇拝の要素がカトリック信仰の中に取り込まれた。

先祖崇拝と聖人信仰の融合

フィリピンでは亡くなった祖先の霊を祀る文化があり、特定の祖先を「守護霊」として崇め、毎年供物を捧げる習慣が存在した。キリスト教の宣教師たちはこの文化を利用しキリスト教の聖人を「守護霊」として紹介し、祖先崇拝と結びつけた。

祖先の霊を崇める文化がキリスト教の聖人崇拝と融合し、地域ごとの守護聖人が定められ、「フィエスタ」と呼ばれる祭りとして現代に受け継がれている。

祈祷文化とカトリックの祈り

フィリピンには土着信仰で特定の言葉や呪文を唱えることで精霊の力を借りる習慣が存在したが、呪文やお守りといった土着の祈祷文化は、カトリックのロザリオやノビナ(9日間の祈り)に融合して根付いた。

教育を通じたカトリック浸透

スペイン統治下で設立されたキリスト教系学校は、教育を通じて社会全体にカトリックの価値観を浸透させ、フィリピン人リーダー層を育成することに成功した。これが統治の安定化に寄与した。

コミュニティの中心としての教会

各地に建てられた教会は行政や社会福祉の拠点となり、フィリピン社会の基盤そのものとなった。人生の節目(結婚、洗礼、葬儀)には必ず教会が関与する仕組みが形成され、宗教が日常生活と一体化した。

アメリカ統治時代とカトリックの関係

アメリカによるフィリピンの統治時代では、カトリックではなくプロテスタントの布教が進められたが、アメリカがフィリピンを統治し始めた時点で、カトリックはすでに360年以上にわたりフィリピン社会に深く根付いていたため、すでに土着化していたカトリックを置き換えることは難しかった。そのため社会基盤を維持するために、アメリカはカトリックと共存する道を選んだ。

エドゥサ革命とカトリックの再定義(1986年)

画像引用:https://daredemohero.com/27712/

1986年、マルコス政権の独裁に対抗するエドゥサ革命において、カトリック教会は「権力の道具」ではなく「民衆の味方」という新たな立場を獲得した。ハイメ・シン大司教による非暴力抵抗の呼びかけで約200万人が集結し、民主主義と自由のシンボルとして教会の立ち位置が変化した。

フィリピン人が現在もカトリックを信仰し続ける理由

長期にわたる土着化の成功

スペインによる約350年の統治期間に、カトリックはフィリピンの土着信仰と深く融合し、フィリピン人の民族的・文化的アイデンティティの重要な一部となった。特に、地域の祭りや儀礼、生活習慣に深く浸透したため、単なる宗教的な教義を超え、日常生活そのものに定着したことが背景にある。アメリカ統治時代にはすでに宗教の置き換えは困難と判断されたほど、カトリックはフィリピンの土着信仰と深く融合し、アイデンティティの一部として定着した。

民族団結と肯定的シンボルとしてのカトリック

エドゥサ革命を通じて、カトリックは抑圧や植民地支配の象徴から、民主主義や人権を守る社会的・政治的な役割を担う存在へと変化した。現在でも貧困対策や社会正義の実現、政府への批判的な監視役として機能しており、民衆の連帯感を生む重要な要素となっている。

社会基盤としての教会の存在感

教育、医療、福祉といった社会基盤を担っているカトリック教会の役割は、現在でもフィリピン社会において極めて重要である。人生の節目ごとに教会が関与する社会構造が維持されているため、宗教的な実践が日常の行動や倫理観と密接に結びついている。

こうした複合的な要因が絡み合い、フィリピン人は植民地時代に導入されたカトリックを今日に至るまで積極的に受け入れ、深く信仰し続けているのである。

おわりに

キリスト教はもともとスペイン植民地時代に支配の手段として導入されましたが、その後、フィリピン社会独自の土着信仰や文化と融合し、社会的・政治的な役割を担う中で、フィリピン人自身によって再構築されました。

現在のフィリピンのカトリックは、単なる植民地時代の遺物ではなく、独自のフィリピン文化の一部として根付いております。

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